淡路・志知城跡
淡路島・南あわじ市志知にある「志知城跡(しちじょう)」をご紹介します。
志知城は、天才軍師と言われた黒田官兵衛や賤ヶ岳の七本槍の一人・加藤嘉明も在城した、当時は非常に重要な拠点だったようです。
平地にあるお城は開発で失われてしまうことが多いのですが、志知城は淡路島内でも唯一、堀や土塁等の主要部が完全に残る貴重な城跡です。
城壁や天守が残っているわけではないですが、お堀や盛り土された土塁の姿から当時の様子を思い描くことができます。
城跡には、豊臣秀吉が腰を下ろしたと伝えられる「太閤石」もあります。
志知城跡は見学自由
志知城跡は自由に見学することができます。
ちょっと離れて見ると、盛り土された土塁の形がよく分かります。
本丸台跡は、竹林が一部切り開かれ、整備された広場になっています。
広場には、志知城跡の石碑と案内板が立てられています。
残念ながら、当時の様子が分かるようなお城の遺構などは残されていないようです。
本丸には竹藪になっています。桜の木もたくさん立っており、春にはお花見も楽しめます。
太閤石
本丸台跡にあるこちらの大きな石「太閤石」。
四国攻略の拠点として、秀吉軍の軍師・黒田官兵衛が志知城に在城しているとき、秀吉がこの石に腰を下ろしたと伝えられているそうです。
私も石に座ってみました。
今はマルナカが見えていますが、昔は一面田園風景が広がっていたんでしょね。
ちなみに草の生えているところはお堀になっています。
志知城の歴史
志知城の築城は、鎌倉時代初期に菅和泉守道忠によると云われています。
天正9年(1581年)、羽柴秀吉による淡路攻略により、志知城は降伏・開城。秀吉の家臣の黒田官兵衛が志知城を預かることになりました。
天正13年(1585年)、加藤嘉明が15000石の城主として入城し、志知城が改修されました。
志知城は、瀬戸内海に出る、淡路水軍の重要基地と位置付けられていたようです。
文禄4年(1595年)、城主加藤嘉明が伊予(愛媛県)に移り秀吉直轄領となり代官が置かれましたが、後に叶堂城(かのどじょう)に移り志知城は廃城となりました。
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お堀からは石垣?も出た
2022年にテレビ番組「池の水ぜんぶ抜く大作戦」でお堀の水を抜いた際に、いくつか石垣が発見され、志知城の石垣では?と言われています。
伊勢神社
本丸台跡から東に一本道があり、途中にも志知城跡の石碑があります。
奥には志知城の遺構が残されているのかもしれませんが、竹林に阻まれ、残念ながら入ることはできませんでした。
そのまま一本道を進み、お堀を超えて、大日川沿いに進むと、伊勢神社があります。
天正4年(1576年)、志知城主・野口長宗が本殿を建立したそうです。
神社からは、志知城に向かって真っすぐ参道(馬場だったようです)が伸びています。
小さく鳥居が見えていますが、その先にはお堀があります。
志知城跡桜まつり
2024年3月31日(日)「志知城跡 桜まつり」が初開催されました。
和太鼓志童による和太鼓演奏や「志知城について」の歴史講座、志知城餅のふるまいなどが行われました。
志知城跡クイズ全問正解で缶バッジがもらえるクイズラリーもありました。
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志知城跡の基本情報
基本情報
- 時間:24時間見学可能
- 定休日:なし
- 料金:見学無料
- 住所:兵庫県南あわじ市志知松本349
- 駐車場:あり