淳仁天皇陵(じゅんにんてんのうりょう)
宮内庁が指定する兵庫県唯一の天皇陵が淡路島にあるのをご存知ですか?
淡路島の南部・南あわじ市賀集に、第47代天皇「淳仁天皇 淡路陵(じゅんにんてんのう あわじみささぎ)」があります。
県道を走っていると、田園風景の中に、こんもりと小さな山形の陵が見えてきます。
淳仁天皇は、第40代天皇・天武天皇の孫。皇位をめぐる争いに巻き込まれ、わずか6年の在位ののち淡路島に島流しされ、この地で生涯を終えました。
淳仁天皇の悲劇的な生涯を物語る貴重な史跡です。歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
また、すぐ近くには、淳仁天皇の母である当麻夫人のお墓もあり、是非あわせて訪れてみてください。
淳仁天皇について
淳仁天皇は、第40代天皇・天武天皇の皇子・舎人親王(とねりしんのう)の七男として誕生。母は当麻老の娘・当麻山背(たいまのやましろ)。
天平宝字2年(758年)に孝謙天皇から譲位を受け即位。しかし6年の在位ののち皇位をめぐる争いに巻き込まれ、天平宝字8年(764年)淡路島に島流しにされてしまいました。
天平宝字9年(765年)に逃亡を図りましたが捕らえられ、翌日33歳の若さで崩御されました。廃位され長く歴史に埋もれた悲運の天皇でもあります。
自由に見学できます
淳仁天皇陵は、拝所の周りから自由に見学することができますが、中には入ることができません。見学は無料です。
宮内庁の注意書きの立て看板があります。
「みだりに域内に立ち入らぬこと」「魚鳥等を取らぬこと」「竹木等を切らぬこと」
淳仁天皇陵ですが、実は、「淳仁天皇」という名がつけられたのは、明治時代になってからのことです。
古文書では「淡路廃帝」などと称され、天皇の歴史からは消された存在でした。
廃帝(はいたい/はいてい)というのは、即位していた天皇が、内部抗争などにより天皇の座から追放され、帝位を廃されることを言います。
歴史上、廃帝となったのは、淳仁天皇(淡路廃帝)のほかは、第85代天皇の九条廃帝(仲恭天皇、ちゅうきょうてんのう)だけです。
写真のとおり、淳仁天皇陵は田畑の広がる平地の真ん中にあります。この場所で生活していたわけではないと思いますが、都での煌びやかな生活とのギャップはさぞかし大きかったことでしょう。
陵印は古市陵墓監区事務所にて
淳仁天皇陵の陵印は、場所が離れますが、宮内庁書陵部古市陵墓監区事務所でもらうことができます。
住所:大阪府羽曳野市誉田6-11-3
駐車場
淳仁天皇陵の前に、空き地があり、ここが駐車スペースになっているようです。
無料で停められます。
当麻夫人墓
淳仁天皇陵の近くに、淳仁天皇の母・当麻山背(たいまのやましろ)のお墓もあります。
県道76号沿いを南に少し進むと、玉ねぎ畑の中に、こんもりと盛り上がった山形のお墓が見えてきます。
宮内庁の立て看板があり、お墓は石段を上がった上にあります。
淳仁天皇陵からは車ですぐなので、是非あわせて立ち寄ってみてください。
淳仁天皇陵 基本情報
基本情報
- 時間:24時間見学可能 ※中には入れません
- 定休日:なし
- 料金:見学無料
- 住所:兵庫県南あわじ市賀集鍛冶屋
- 駐車場:あり